コラム
奈良筆 筆司、奥田春男さんの話
私が奥田春男さんを訪ねたのは今から5年ほど前、奈良筆をテーマにした大学の卒業論文を仕上げる為のインタビューが目的でした。所属していたゼミの方針で論文の調査は文献等に頼らず、現地での情報収集活動を主体に進めていました。その一環で幾つかの奈良筆製造業社を訪問して、様々なお話を伺ったのですが、その内の一社、新花月堂株式会社にお邪魔した際、後日職人さんを紹介して下さることになり、お会いしたのが奥田さんでした。
そもそも、花月堂さんは全国に販路を持つ奈良筆問屋の大店で、昔からスミ利とも取引がありました。毛筆が昔ほど売れなくなった現在は規模こそ縮小されていますが、プロの書道家や有名寺院、書道教室などに販路を特化して独特の存在感を発揮しています。書家の要望に応じて特注した極めて特異な筆から、初級者でも使いやすく工夫された一般用筆、赤ちゃんの毛髪で造る胎毛筆まで、製作する筆の種類は軽く数千種を超えるというとんでもない会社です。そんな花月堂の筆造り、特に高級筆を支えているのが奥田さんなのです。
皆さんは、筆メーカーは社内に職人が居るとお思いではないですか?確かにそういうところも何件かあります。しかし、奈良筆は筆の企画と販売を担当する筆問屋と、奈良市内中心に数十名いる独立した筆司(職人)との長年の連携プレイで成立しているのです。問屋から依頼を受けた筆司が自宅の工房で筆を製作し、それを問屋が集めてまわるのです。筆の材料も特別なものを除き筆司が個別に業者から調達しているそうです。因みに筆軸に文字を彫るのは彫師という別の専門職人がいて、筆の完成後に問屋がそちらに頼みます。
大抵の筆司達は数社の筆問屋や筆墨店と契約していてそれぞれの筆を製作しています。また、筆司には太筆専門に造る太筆司と、細筆専門の細筆司があり、どちらの筆司になるかは師事した師匠がどちらの筆司だったかで決まります。奥田さんは太筆司として花月堂に筆造りを認められて依頼、一貫して花月堂の筆のみを手掛けてきた少数派の職人で、極めて真面目な人柄がその筆にも乗り移っています。
そもそも、私の論文は奈良筆の製法や歴史に重点を置いたものでは無く、産業としての成り立ち方や変遷、今後の展望をどう捉えるか、と言うもので、宣伝的な話ではなく、より内部事情に近い情報を求めていました。花月堂の奥さんに紹介されて初めてお会いした奥田さんは小柄で細身ながら力は強そうな、いかにも職人らしい方でした。私は緊張していましたが、面倒な質問も奥田さんは快く答えてくださり、遊びと思って連れて来られた奈良でいきなり奉公に入った子供時代の話から、戦争で仕事を離れた話、原材料の調達の話、最近勲章を受けた話など、花月堂の奥さんも交え何時間も実に深い話を聞くことが出来ました。
中でも、父親が早くに亡くなり、訳も分からぬまま、一人筆の修行に出されたという修行時代の話や当時の徒弟制度の話等は非常に興味深く、感動的でした。奥田さんは奈良に大勢いる筆司の中でも13名しかいない国指定の伝統工芸士で、平成9年には春の叙勲まで受けている日本を代表する名工ですが、その奥田さんが戦争で修行を中断した僅か数年を「今も悔やんでいる」と話されたのは驚きでした。「戦争で失った数年間も師匠について修行できていれば、今もっと良い筆が造れていたかもしれない、」この言葉に今も前向きに技術を高めようとしている奥田さんのエネルギーの根源みたいなものを感じました。
弟子時代から愛用しているという小さな作業机の片隅に、軸を付けていない2本の筆の穂先が置いてあったのですが、この筆は奥田さんの師匠が残してくれた大切なもので、今でもこの筆を目標に毎日仕事をしているそうです。未だにこの筆と同じものを造れていないと感じ、焦る気持ちと悔しさでいっぱいになる時があるそうですが、一晩考えて冷静になると今も修行の身なんだ、と思い直し、また良い筆を作っていこうと頑張れるのだそうです。
私はこの感動的なインタビューの後、日本にはまだこんな気持ちでモノを造ってくれるてる人がいたんだ!と分かり、何故かとても嬉しくなりました。現実的には、奥田さんの様な徒弟制度の下修行を積んだ職人はもう少なく、若い人が筆職人として生活していくのも困難な時代となり少し寂しい気もします。実際、奥田さん自身も既にお子さんが独立し夫婦2人だけの生活だからこそ、今の様に自分の信念に沿った筆造りが可能なのだと思います。若い職人はどうしても一定の収入を得る為にある程度の仕事量が必要です。花月堂さんの話によると、奈良でも特に少量生産の高級筆の製造は既に生活の心配が無くなり、少しの仕事でも請けてくれる年配の職人達のお陰で成り立っているとのことです。私も、微力ながら奈良筆販売に携わる者の一人として何か役に立てないかと日夜考えています。長い年月をかけて培われてきた奈良筆の歴史が今後も受け継がれて欲しいと思いました。
2004年5月20日 掲載
インタビューの思い出
インタビューは私が大学時代研究テーマとしていた奈良筆について、直接当事者にお伺いする為に行ったものです。当時、新花月堂株式会社様には特別にお時間を頂き、奥田さんのご自宅の作業部屋でお話を伺いました。学生だった私は、相手が気を使って無理に引き受けて下さらない様にと、取引のある会社にも自分がスミ利の息子であることを告げずにアポイントを取り、緊張して出かけていったのを思い出します。卒論の調査ということで皆さんお忙しい中、快く引き受けてくださり、貴重な経験ができました。後になって、結局色々な人に気を使わせていたことに気付きましたが、世間知らずな学生だから出来たような、今思うと少し恥ずかしい経験です。しかし今の仕事にも随分役立っているので、あの時やっておいて良かったな!と思っています。
奈良筆・奥田さんについて
※ 奈良筆
昔から有名寺院や神社が立ち並ぶ奈良は日本の毛筆製造発祥の地とされており、古くは弘法大師が筆の製造法を伝えたとも言われています。現在でも奈良市を中心に多くの筆業者が存在し、筆造りの技術は我が国でもトップレベルとされています。奈良筆は現在の経済産業省の指定により伝統的工芸品に指定されており、特に優れた技術が認定された伝統工芸士とその弟子達によって伝統の技を現代に伝えています。
※ 奥田春男さん
大正15年5月21日京都に生まれる。小学校卒業と同時に奈良筆の名人、竿谷市太郎氏に弟子入りし徒弟制度のもと筆の修行を積む。昭和25年、奈良筆問屋の大店、花月堂の筆司として独立以来、今日まで一貫して同社の筆を造り続け、各方面より多数の賞を受賞する。平成9年春の叙勲で「勲七等青色桐葉章」を叙勲。奈良筆では師匠の竿谷氏以来二人目、戦後初の快挙となった。奥田さんは様々な筆を手掛けるが、中でも上質な馬毛(天尾)を用いた筆を得意とする太筆司。 数ある花月堂の筆でも特に高級品を多く手がけてこられましたが、残念ながら2006年に引退を決意されました。
奥田さんの代表作 :白鳳(\5,250)(完売いたしました!) ・赤ちゃん筆(\10,500)販売終了
※奥田さん引退のお知らせ 2006年2月
実は、長年花月堂の筆を製作してこられた奥田春男さんが、引退されることになりました。良い筆を作っていただいておりましたので、本当に残念なのですが、体力的なこと等を考慮され引退を決意された様です。筆は穂先を縛ったりする際に結構力がいるそうです。 長年毛筆業界に貢献してこられた奥田さんにスミ利としても敬意を表したいと思います。 尚、現在販売中の奥田さん製作の筆につきましても、在庫限りで終了となりますので、何卒ご了承下さいます様お願いいたします。